大山倍達:思い込みの力とカリスマ性 ―後編― [芸スポ]
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*前編を読んでない方は、こちらからお読みください
⇒大山倍達:思い込みの力とカリスマ性 ―前編―
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「先生。やはり私たちにはビール瓶を切るなどという神業はできる気がしません。」
―「・・・・・・確信だ」
「は!?」
―「確信するんだよ。
人間が恐怖を抱くのはなぜだ?
それが未知だからだ。
ビール瓶もしかり、今まで手刀で切ろうなどという者はいなかった。
未知の領域は誰だって確信が持てないし怖いからだ。
しかし、私はそれに挑戦し、打ち勝った。(てかすごいだろ、オレ)
もはや『ビール瓶切り』は未知ではない。
可能なのだ。
それは私が証明した。
それなのにお前らときたら...
何をそんなに恐れる?
恐れることなど何もない。
"ビール瓶切りはできる"
ただこれを確信してさえいればよい。
何も考えず、ただただ自分を信じるのだ!
enough for today?
(今日はこのくらいでいいかな?)」
「はいっ。先生!!」
「そ、そうか。ビール瓶は手刀で切れるんだ!!」
「ぅおお!!オレたちもやるぜぇぇええ!!!」
(「・・・・・・・・・・・・・・ふう、納得してくれて助かったわぃ。まぁ、それで成功するとは思えんが...」)
ワーワー騒ぎ立てる門下生たちを尻目に、大山は尻汗でびしょびしょになったパンツを取り換えに帰宅したのであった。
その後に奇跡が起こるとも知らずに...
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(な・・・なんだこれは?いったい何が起こってるんだ!?)
あれから数カ月後、信じられない光景が目の前に映っていた。
「やったー!ビール瓶切れたぁああ!!」
「オレも神業ができるようになったぞー」
なんと門下生の中にビール瓶を手刀で切れるようになる者が現れ始めたのだ。
あんぐり口を開けて呆然と立ち尽くす大山の姿を確認するや、門下生たちが駆け寄ってくる。
「先生!本当にできました!!
『確信をもて』
あの言葉を聞いた瞬間、 なんかこう、不安が消えて、自分にもできる気がしたんです。
うまく言えませんが...今まで蛇だと思って近寄れなかったものが、よく見てみると実は縄だった、みたいな。
そんなふうに感じたんです。
“ビール瓶切りは可能だ”
そうわかった瞬間、自分にもできるような気がしたんです」
「へ!?どゆこと?」
とは口が裂けても言えないわけで...
「『精神論』あくまでも、技能、技量をしっかりと体得することを
前提として論じられないかぎり、無意味な空論にすぎぬ。
しかし、君たちは身体や技の鍛錬も怠らなかったようだね。
精神が未熟では恐怖という思い込みの前に技が鈍る。
かといって精神だけでは実戦において無意味だ。
何事もバランスが重要なのだ!
これを覚えておきなさい」
・・・まぁ結果オーライってことで、このように締めくくったのである。
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さて、極真会館創始者の大山倍達であるが、彼に関する話はどれも虚構に満ちている。
あるところでは「ゴッドハンド」「牛殺し」などと呼ばれているかと思ったら、
また別のところでは「実は弱かった」「弱った牛を殺すなんてひどい」などと言われている。
しかし決して揺るがない事実がある。
それは、極真空手の門下生にとっては大山こそが最強であるという信頼だ。
大山こそが最強だと信じて疑わない。確信しているのだ。
もはや教祖的存在ですらある。
よく信頼できる医者が出すものは、たとえただの水やラムネであっても「よく効く薬」だと信じて疑わず、病気まで治ってしまうという話を聞く(プラシーボ効果)。
このプラシーボ効果における医者と患者の関係は、そのまま大山と門下生の間にも成り立つ。
つまり
大山に関して真に評価すべきポイントは、
“カリスマ性”
と言えるだろう。
これは、大山が実際に強かろうが弱かろうが揺るがない事実だと私は思う。
むしろ、実際に彼が弱かったとしたら...
門下生たちを束ねる彼の能力は計り知れない。
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「先生。やはり私たちにはビール瓶を切るなどという神業はできる気がしません。」
―「・・・・・・確信だ」
「は!?」
―「確信するんだよ。
人間が恐怖を抱くのはなぜだ?
それが未知だからだ。
ビール瓶もしかり、今まで手刀で切ろうなどという者はいなかった。
未知の領域は誰だって確信が持てないし怖いからだ。
しかし、私はそれに挑戦し、打ち勝った。(てかすごいだろ、オレ)
もはや『ビール瓶切り』は未知ではない。
可能なのだ。
それは私が証明した。
それなのにお前らときたら...
何をそんなに恐れる?
恐れることなど何もない。
"ビール瓶切りはできる"
ただこれを確信してさえいればよい。
何も考えず、ただただ自分を信じるのだ!
enough for today?
(今日はこのくらいでいいかな?)」
「はいっ。先生!!」
「そ、そうか。ビール瓶は手刀で切れるんだ!!」
「ぅおお!!オレたちもやるぜぇぇええ!!!」
(「・・・・・・・・・・・・・・ふう、納得してくれて助かったわぃ。まぁ、それで成功するとは思えんが...」)
ワーワー騒ぎ立てる門下生たちを尻目に、大山は尻汗でびしょびしょになったパンツを取り換えに帰宅したのであった。
その後に奇跡が起こるとも知らずに...
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あれから数カ月後、信じられない光景が目の前に映っていた。
「やったー!ビール瓶切れたぁああ!!」
「オレも神業ができるようになったぞー」
なんと門下生の中にビール瓶を手刀で切れるようになる者が現れ始めたのだ。
あんぐり口を開けて呆然と立ち尽くす大山の姿を確認するや、門下生たちが駆け寄ってくる。
「先生!本当にできました!!
『確信をもて』
あの言葉を聞いた瞬間、 なんかこう、不安が消えて、自分にもできる気がしたんです。
うまく言えませんが...今まで蛇だと思って近寄れなかったものが、よく見てみると実は縄だった、みたいな。
そんなふうに感じたんです。
“ビール瓶切りは可能だ”
そうわかった瞬間、自分にもできるような気がしたんです」
「へ!?どゆこと?」
とは口が裂けても言えないわけで...
「『精神論』あくまでも、技能、技量をしっかりと体得することを
前提として論じられないかぎり、無意味な空論にすぎぬ。
しかし、君たちは身体や技の鍛錬も怠らなかったようだね。
精神が未熟では恐怖という思い込みの前に技が鈍る。
かといって精神だけでは実戦において無意味だ。
何事もバランスが重要なのだ!
これを覚えておきなさい」
・・・まぁ結果オーライってことで、このように締めくくったのである。
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さて、極真会館創始者の大山倍達であるが、彼に関する話はどれも虚構に満ちている。
あるところでは「ゴッドハンド」「牛殺し」などと呼ばれているかと思ったら、
また別のところでは「実は弱かった」「弱った牛を殺すなんてひどい」などと言われている。
しかし決して揺るがない事実がある。
それは、極真空手の門下生にとっては大山こそが最強であるという信頼だ。
大山こそが最強だと信じて疑わない。確信しているのだ。
もはや教祖的存在ですらある。
よく信頼できる医者が出すものは、たとえただの水やラムネであっても「よく効く薬」だと信じて疑わず、病気まで治ってしまうという話を聞く(プラシーボ効果)。
このプラシーボ効果における医者と患者の関係は、そのまま大山と門下生の間にも成り立つ。
つまり
大山に関して真に評価すべきポイントは、
“カリスマ性”
と言えるだろう。
これは、大山が実際に強かろうが弱かろうが揺るがない事実だと私は思う。
むしろ、実際に彼が弱かったとしたら...
門下生たちを束ねる彼の能力は計り知れない。
*画像・名言の出典:『大山倍達 - 国際空手道連盟 極真会館 総本部』
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